私のルーツを明治以前までたどると、山奥の百姓だ。
四方を山に囲まれ、耕す土地もさしてない。
そこで桑を植え、この葉っぱを蚕のエサにして養蚕を営んでいた。
耕す土地もなければ、納める年貢も微々たるものだ。一方、養蚕は年貢もかからず、まあまあ生きていける程の収入になった。
年貢もなければ気楽なものだ。畑仕事の合間に蚕は繭になり、蛾は卵を産み、蚕が生まれ桑を食べ、また繭になり絹ができる。金持ちが絹を買うと巡り巡って山奥の百姓が儲かる仕組みだ。
刻が経ち、私の祖父は戦前・戦中は軍事工場で働き戦後は進駐軍の基地の技師となった。時代の荒波に翻弄されながらも、小豆の先物売買で小銭を稼いだ。
そして、父は平凡なサラリーマンだった。高度経済成長、バブル景気に乗って日本株で地味に儲けた。片倉チッカリン(現:片倉コープアグリ)と日本郵船をひたすら買って売っていた。今は散歩が趣味の老人、贅沢でもないが、老後2000万円問題とは無縁だ。
これが、私のルーツ。繭は配当になって、不労所得のスピリットは私に受け継がれている。
以上、つづく。