人によって不要不急が違うから、疑心暗鬼になる。
不要不急が違うのは、人によって意味と意義が違うから。
例えば、オリンピック、パラリンピックをやる意味があるのかと言われると、意味はない。オリンピックやパラリンピックをやらないと生きていけない訳ではないし、最低限の生活を維持するために必要なものでもない。
しかし、オリンピック、パラリンピックは平和の祭典だし、アスリートがチャレンジする姿が勇気と感動を与えてくれると思い人にとっては意義がある。
この場合、意味は客観的な必要性、意義は主観的な価値のこと。
客観的に役に立つか立たないかで考えたら必要性のないことも、その人にとって重要な価値があることであれば不要不急ではなくなる。
帰省を自粛するように要請しても、政治家にとっては地元に戻ることは意義がある。選挙に勝つために。
テレビを見ない人には不要でも、テレビ局にとっては報道に自由は意義がある。それが、ドラマの撮影だとしても。
不要不急を論じていても、意味と意義の違いが、大きな違い、疑心暗鬼を産む。
以上、つづく。
以上、つづく。