諸君、生きていれば、たまには死にたいと思うのは普通。しかし、どうやって死のうか、と考えてたら異常だ。
これは、私が心身衰弱して死のうと思った時の話。「認めたくないものだな、若さゆえの過ちというものを」であるが、私が投資を始める原点でもあるので、少しそのことを書いてみたいと思う。
私が海外との取引部署に配属されたときだった。取引先のある国で情勢が悪化して輸入ができない。さらに通関の問題が起こり、業務が増大して1日20時間働いていた。取引先は海外なので時差がある。だから、日本時間の深夜に電話をして取引先の営業時間中に問い合わせをする。
昼は本社から問い合わせ、夜は取引先へ問い合わせで寝る暇もなかった。
そんなことを何カ月も続けていると具合が悪くなる。頭痛と動悸がするが、仕事中は気が張っているため何とか持ちこたえている。
しかし、ちょうど仕事納めで休みに入った途端、身体が動けなくなった。意思はあるのに気力がなく何もできない。
暗い部屋で、海の底に沈んだような暗い気分だ。食べることも面倒くさい。テレビのリモコンのスイッチを押すのも面倒くさい。
風呂に入るのもおっくう。というよりさっぱりするのが疲れる。
考えるのも面倒くさいが、いろいろなことが頭に浮かぶ。
そして、自殺しようと考えた。
たとえ世界の果ての戦争で人が死のうが、ガンで闘病している人がいようが、うつで死のうかと考えている自分が一番不幸だ。人間とは勝手なものだ。
どうやって死のうかと考えてみる。なるべく苦しまない方法がよい。
できるなら、眠るように死にたい。練炭自殺がどうだろうか?
練炭がいる。七輪がいる。目張りのためのガムテープがいる。
私は、タバコを吸わないからライターなんか持ってないじゃないか?チャッカマンを買わないとならないのか?
しかし、近所にはコンビニしかない。練炭やチャッカマンは売っているのか?
少し遠いが、スーパーに行こう。しかし、あのスーパーは食料品しか売ってないじゃないか!
じゃあ、遠出してホームセンターまで行くしかない。バスで行くしかないな。しかし、バスの時刻がわからない。
じゃあ車で行くか?でも、睡眠薬処方されているから車の運転できないじゃんか・・・!
そんなことを夜通し考えていた。
堂々巡りも一巡して、そもそも何で死のうと思っているのか理由がわからなくなった。
理由がわからないことで悩んでるのはおかしいではないか?
何故死にたいと考えるのだろうか?
今までここまで、死ぬ方法を考えたことはなかったのに。
死にたいと考えている自分は生きている。生きているから考えている。死んでいたら死のうと考えるのだろうか?死んだら死の概念すらない。だから、人間には生の概念しかない。そう考えたら、生への回帰が起こった。
そして、入院することにした。普通に生きるために。
生きていれば、死にたいと思うことはあるであろう。誰にも、受験や就職に失敗したり、借金や哀しいことがあれば多少は死にたいと思うのが普通ではないか?
しかし、理由もなく、具体的な死に方を考えていたら異常だ。
何で死にたいか考えているのは普通、どうやって死のうか考えているのは異常。
あの時、私に死にたい理由なんてなかった。疲れたから休みたかっただけだ。休みたいと思うのは、自然な生への欲求だ。
死にたくなったときに、まず自問してみよう。どうやって死のうか考えていたら異常だ。異常に気付けば、正しい方向へ向かっていける。
以上。つづく。